見積もり、相談無料。自分らしいお葬式や自由なお葬式、故人らしいお葬式をお考えの方、葬儀やお葬式の相談なら

※NHK特報首都圏でも紹介されました 2004年1月16日 PM7:30〜 映像はこちら

 トップ > ◆柴田徇也の生まれる
 
葬儀をご検討の方へ

お葬式相談センターでは、故人に合わせた最適な葬儀業者を、独自のシステムで選定し、紹介いたします。

料金体系など、聞きたくても聞けずにいた情報を公開し、公平さを追求した仲介をご提案します。相談無料

大切な友人の死
ご利用方法について
無料お見積もり
お客様の声
葬儀社の選び方
柴田徇也の生い立ち
 1. 柴田 徇也 生まれる
 2. 高校受験失敗
 3. サクラサク

 



 柴田 徇也 : 昭和22年(1947年)9月
 埼玉県熊谷市で3人兄弟の末っ子(次男)として生まれる


父は、公務員で書家、母は、専業主婦という極めて普通な家庭に育つ。

末っ子ということもあり、かなりわがままで目立つ存在だったようです。
残っている写真を見るとお遊戯や楽器の発表会ではいつも真ん中といった具合です。

小学校時代は、勉強はそっちのけでとにかく良く遊びましたね!
学校から戻るとランドセルを放り出してベーゴマやメンコ、ソフトボールに近所の悪ガキと興じていました。
今思うと評判は悪かったかもしれないなぁと思います(笑)

一方で父親が書家と言うことで、私も書道を習っていました。字が綺麗だといわれて得をすることが多いのですが、これもひとえに父のおかげですね。

さて、中学校時代はというと、今で言う軟式テニス部に入り3年間みっちり活動をしてました。
その当時はスポーツといえば根性論の時代で、入部したころはあけてもくれても素振りと玉広い…。その中でも拷問のようにきつかったのは「うさぎ跳び」でした。

現在のスポーツ医学では「アキレス腱をいためるから絶対にやってはいけない」とのことのようですが、この当時は三度の飯よりも当たり前にやらされていた記憶があります(笑)
でも、私は今でも(57歳ですが)サッカーというハードな運動をしていますが、それが出来るのもこのころの「うさぎ跳び」のおかげかもしれないですね。
それに、この時に先輩や後輩たちとの付き合いの仲で人間関係というものを学びました。

結果として、3年最後の市の大会で良い所まで行ったのですが、残念ながら県大会には出場とまではいけませんでした。でもとても充実した3年間でした。

さて、この後、私は、大きな挫折に遭遇します。

 


© Copyright 2006 Peer Network Co.,Ltd. All Rights Reserved.

見積もり、相談無料。自分らしいお葬式や自由なお葬式、故人らしいお葬式をお考えの方、葬儀やお葬式の相談なら